新入生のみなさま
ご入学おめでとうございます!
ぜひグライダー部の新歓におこしください!
連絡先:kugc2012@gmail.com
2026年3月
七大戦
団体3位でした。
4回深尾が個人3位でした。
2025年3月
全国大会
団体5位でした。
4回石川が個人3位でした。
2026年07月04日
7月京大大工木曽川合宿day0
本合宿は例年土日の2日間でやっていたところ、平日少人数合宿のうまみを求めて今年度は土日月火の4日間に延伸しました。
雨予報により平日どころか4日間飛べないことも危惧していましたが、少しずつ好転し無事に金曜入り日で合宿を開始することができました。よかった。
私は金曜が全休なので昼入りして機体の積み込み、トレーラーの運搬、係のオープンにお迎え便と駆け回っていました。牽引する先輩たちを見て、来年は自分がこれを牽引してるのか…などと他人事のように思うことです。
天気も良く、自大合宿や外参で甘い汁をすすっていた5月と異なり、6月は雨撤収や合宿中止もあってあまり飛べませんでした。気持ち的にもペースダウンしてしまっていたのですが、気持ちを切り替えて7月からがんばろうと思います。
予報が少しずつ変わっていて、ここから意外と飛べるかもしれないし、意外と飛べなくなるかもしれません。教官は学生の日頃の行いにかかっているとおっしゃったので、きっとたぶんそれなりに訓練できることでしょう。
2026年07月01日
初ソロ体験記
皆さんこんにちは。KUGC78期の藤岡桂祐です。
今年の3月に初ソロに出ました。
新歓もあり、初ソロ体験記をあげるのがこの時期となってしまいました。
少し長いですがお時間あればお付き合い下さい。
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私は生まれも育ちも左京区で、京大から数キロのところに実家がある。
去年の春、京大に入学できて嬉しかったものの、そこに新鮮な景色はなかった。
それもあって大学では最も非日常的な景色を見せてくれる団体に入ろうと心に決めていた。
4月のある日、新歓を一緒に回っていた友人が体験搭乗目当てでグライダー部の新歓を受けたいと言ってきた。
それにノコノコついていった。
そしてKUGCの新歓を受けてこう思った。
「一番の非日常って空かもな」
すぐさま入部を決意した。
入部してからというもの、とにかくグライダーが楽しくて仕方なかった。
1回生にして全ての自大合宿に顔を出していた。(自慢だが、2回生になった今も自大合宿は一回も休んでいない)
この頃先輩方は私のことを「やる気ある優秀な後輩」だと思っていたそう。
やる気はあれど優秀でないことくらい自分が1番わかっているので、いつポンコツを見抜かれるかひやひやしていた。
KUGCの中で最も早く私のポンコツに気づいたのはOさんだった。
あーもう隠さなくていいや、落合さんである。
この人にはどこまで行っても勝てないのだろうとその時直感してしまった。
1回生の夏、純粋にグライダーが楽しく、乗れば乗るほどうまくなっていく感覚が癖になっていた。
グライダーへの熱量が日に日に増していく中、8月末に妻沼で痛ましい事故が起こってしまい3か月間訓練が停止となった。
それまで反対を恐れて、親に自分がグライダーをやっていることを濁していたが、事故を受けて自分にもしものことがあった時親に迷惑をかけると思い全て打ち明けた。
すると、祖父がグライダー乗りであったこと、母がハングライダーをやっていたこと、父がラジコングライダーをやっていたことを逆に打ち明けられ拍子抜けしてしまった。
今まで家でカックーの話なんかしたこともなかったのに。
結局グライダーにかかるお金は自分で稼ぐことを条件にグライダー部を続ける許しを得た。
季節は過ぎ11月末、トレセンに参加した。
今思うとトレセンは初ソロを目指す上でのターニングポイントとなった。
トレセンでは他大学の同期とも知り合い、1回生初ソロを狙っているのが自分だけではないということを知り心強く思ったが、それと同時に自分の中に競争意識が芽生えた。
またトレセンでは深尾さんと一緒にいる機会が多く色々な話をした。
特に印象に残っているのは、妻沼の夜道をドライブしている時に深尾さんが「藤岡はSやHやIさんと違って天才肌じゃないから結果を出すのにそこそこ苦労すると思う。それでも上を目指すには結局めげずに努力しかすることはない。まあ頑張れ」とおっしゃっていた事だ。
初ソロ前はそんな何気ない先輩の言葉が心の支えだったりする。
自分も後輩にこういう現実的なアドバイスができる先輩になりたいと思った。
そして12月大野から晴れてソロ勢の仲間入りを果たした。
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(ここから本文。)
そうこうしているうちに2月になった。
フライト自体は何とかまとまってきましたが、指導員の佐野教官が首を縦に振るフライトがなかなか出来ない。
そんな中迎えた2月大野最終日、ダミーブレイクの瞬間は突然訪れた。
高度の針が180mに届いた瞬間に強烈なサブGセンセーション。
レリーズを3回引きながら姿勢を回復。
自分のパス判断と飛行経路選択の甘さがちょうど露呈する高度でのダミーブレイク。
十分なベースレグをとれずにオーバーシュート。
そして侵入速度が速すぎてフレアは高起こし気味。
もちろん結果は不合格。
ただダミーブレイクまでこぎ着けたのは成果ではないかと前向きに捉える。
落ち込んでいると大野さんがチョコをくれる。美味しい。
どうすればよかったのか1人で考えてみる。そして先輩や教官に相談してみる。
結局できることはそれしかない。
そして3月
3月大野までに自分の中でソロに出る心の準備ができていたと思う。たぶん。
1日目、佐野教官とM教官の1輪滑走への見解の違いに苦しむ。
いや、それもまた勉強。
2日目の運航前、サブピストから呼び出される。
その日を落合さんのXデーにする旨を伝えられた。
もちろん本人には黙っておく。
そして藤岡のXデーは明日であることも伝えられた。
そして落合さんがソロに出た。
祝う気持ちはあったのだが、次は自分だと思うと気の利いた褒め言葉が出てこなかった。
3日目、緊張はしていなかった。
1発目M教官と同乗。きれいな1輪滑走に成功。チェック通過。
次同乗の佐野教官が2索目なのにゆっくり歩いてこちらに来た。
なかなか後席に乗り込まない。
「これはダミーブレイクだ」なんてことも2回目なら察せてしまう。
2発目佐野教官と同乗。きれいな2輪滑走に成功。250mでブレイク。
まあ嫌というほど対策していたのでチェック通過。
3発目いざソロへ。
同期のグランドワークで出発することに。
樋口の索出し→腰痛そう
吉田の索付け→単純に怖い
水野の翼出し→単純に怖い
初ソロで一番怖かったことはと言われると同期のグランドワークだったかもしれない。
冗談やで
曳航中、「何故俺は岐阜まで来て空を飛んでいるのか」と我に返り笑ってしまった。
曳航はGWS(Great Winchman Soma)のおかげでうまくいった。
将来、自分も後輩の初ソロを曳いてあげたいと思った。
緊張はしたが、怖いことは何も起こらず無事着陸。
訂正、着陸は下手くそであった。
キャノピーを開けると同期が駆け寄ってきた。
その時、この部活に入ってよかったと思った。
お祝いに大野さんがチョコをくれる。美味しい。この人には頭が上がらない。
その夜宿舎で石川さんに誘い出されて外に出てみるとみんなに水をぶっかけられた。
せっかくなので落合さんも一緒に水をかけられることになった。
しかし小心者の藤岡は落合さんに水をかけることなんて出来ない。
隣では同期の藤田が何のためらいもなく落合さんに水をぶっかけていた。メンタルはこうありたいものだ。
近いうちに多分増田が初ソロに出る。
その時は思いっきり水をぶっかけてやろう。
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色んな人のおかげで足踏みこそしましたが意外とすんなり?ソロに出ることができました。
これからも成長を続けていきたいと思います。
読んでくださった方々、ありがとうございました。
添付の写真は同期との写真です。
2026年06月29日
洛風総会が行われました
2026年06月26日
初ソロ体験記
3回生の落合です。昨年度の3月29日に初ソロに出ました。3ヶ月遅れとなりますが、初ソロの話をします。
執筆自体はしていたのですが、中身がまあまあ卑屈で陰鬱で情けなく、応援してくれた人たちやソロに憧れる後輩の前に果たしてこんなものを出して良いのか、もっと輝かしい文章が書けやしないかとずっと温めていました。なんだかもういいやとなったので、遅ればせながら本稿を掲載します。
私が初ソロ勢となったのは2回生の8月でした。全国大会にdiscusで出場するなら3回生の10月までにライセンスを取れと聞いていたので、そこに手が届くよう、夏休み中のソロを目標にとっていました。夏前まで競い合っていた同期のやまこう(山口航汰)は8月大野でソロを達成し、私が初ソロに出る頃には自家用経歴がたまっていました。
8月木曽川は7日間晴れて、もう少しだと毎日教官に言われながら、明日ソロに出られることを信じて初期上昇やフレアを整えていました。毎晩イメージフライトをして、1発飛ぶごとにソロに近づく感じがしていました。初ソロ勢がいちばん楽しかったのはこの合宿です。あとはしんどかったです。
合宿中止により9月はノーフライト、10月もノーフライトでした。自家用受験は初ソロから1年が相場と聞いていたので、いつソロに出られるか分からない以上、場合によっては全国に間に合わなくなるかもしれないという気持ちが芽生えました。
11月、NF合宿。一度アンダーシュートしたのをきっかけにオーバーシュート芸人になり、6日のあいだ第四旋回と格闘しました。このあたりから精神の脆弱性が顔を出しはじめます。あるフライトの失敗をずっと引きずって、そうならないように飛ぼうとするあまり、逆方向に失敗したり、こう飛ぼうと思う間に他が疎かになったり、前回と違う飛び方に翻弄されたりしていました。良かったフライトをイメージフライトでなぞろうと思っても、失敗のイメージと、失敗を避けようとして別の失敗をするイメージから逃げられなくなりました。こいつより先にソロに出ようと思っていた同期の手塚はここで初ソロを達成しました。
12月大野、ライバルだった同期の中川が初ソロに出ました。私は大野会計の試験をしました。12月木曽川、特になにもありませんでした。木曽川会計の試験をしました。
夏に散々悩んだ場周・離着陸の話はあまりされなくなって、帰投判断とか沈下や風に対する飛び方の話が多くなり、ソロに出るのに足りない点を聞くと教官によって違う点を挙げられます。自分ではソロに出られない原因がいまいち分からず、かといってソロに出るイメージは全くできません。気持ち的には、原因があって出られないというよりは、原因以前にソロは出られないものだと思う癖がついていました。周りの目を気にして、初ソロに出るぞ! と毎度口に出しつつ、まあ無理だろうなというのが本心でした。
頑張って10月受験に間に合うかどうかという時期になっていたので、明日ソロに出られるかどうかでライセンスや大会出場が左右されるかもしれないという焦りがありました。はやくソロに出なければならない、ソロで飛ぶのは怖い、怖くてもやらければならない、などなど気持ちが重く、チェックフライトだと思うと手も思考も強張ってどうしてもうまく飛べません。この風ではソロは出せんなあと言われた強風時のフライトがいちばん上手でした。
自信を持てという類いの言葉をたくさんもらいました。座学以外なにをしても要領が悪い私が、ソロという優秀で努力家な人間の世界に手が届くものか。イメージフライトも依然へたくそでした。自信なんてあるわけないのです。1人で飛んだこともなければ、チェックに通ったこともないのだから。迷走はもうすこし続きます。
1月は外参できずノーフライトでした。12月の会計を締め、認定をいただきました。自己肯定感が底辺から息を吹き返しました。
2月大野、こいつより先にソロに出ようと思っていた後輩の藤岡がダミーブレイクに届きました。このときはダミーの対処がうまくいかず、惜しくもソロを逃したようでした。私はまだダミーまで辿り着いていません。
あと2、3ヶ月もダラダラと初ソロ勢を続けていたら後輩がどんどん追いついてきて、追い越していって、それでも後輩の背中を追いかけて後輩の発数を食って飛び続ける3回生にならなければなりません。同期と後輩が十分に優秀である中、間に合うかどうかも分からないのに全国を目指す6人目だか7人目だかのパイロットに需要はあるのか? という不安が頭を過ります。
それでも同期と同じ場所に立って、discusに乗って、大会に出たい。新運営代として掲げたのは幸いにも「全国大会にdiscusパイロットを5人」、6人目にだって需要はあるはずだし、そうでなくても飛びたい人を応援してくれるのがKUGCです。次こそソロに出るつもりだし、2回生のうちに出られなければとてつもなく悔しいだろうけれど、このまま3回生になろうが後輩に追い抜かれようが頑張るつもりでいました。
同期にことごとく置いていかれたこの時期は、3回生の政宗さん、2回生の私、1回生の藤岡という愉快なOP担当3世代で初ソロライバルをやっていました。私の同期たちは仲良く初単座の話をしていてとても寂しかったです。
七大戦の裏も外参するつもりでしたが、全て断られてしまったので、北海道&東日本パスで逃亡して雪に鎖された滝川のランウェイを見に行きました。その間、係外参を勝ち取った政宗さんが初ソロに出ました。
3月大野で初ソロに出ました。3日間の訓練の中日でした。1日目の夜は例のごとくソロとか無理、初ソロ勢しんどい、などとうずくまっていたにもかかわらず、2日目の1発目は今までの焦りが嘘のように、納得のいくフライトができました。着陸してキャノピーを開けながら思うことには、こんなフライトができたらソロに出られてしまう、やばいどうしよう、と。
同期や先輩や教官がどこまでも卑屈な私に倦むことなく与えてくれた沢山の言葉が、半年かけて自分の中に降り積もって、自分はちゃんと飛べるのだと信じられるようになったのがこの日だったのだと思います。口癖のように初ソロ勢しんどいと繰り返すめんどくさい生き物をめんどくさいとも言わず応援し、甘えさせてくれた方々には頭が上がりません。
搭乗準備中はとても嬉しかったのと同時に怖くて手が震えていました。翼出しは中川がやってくれたのですが、翼端をあげてもらうときにすごく良い笑顔でサムズアップを返してくれて、その表情を見て、ようやく1人で飛ぶ勇気が出ました。
初ソロで何をやったという逸話は色々聞きますが、私は搭乗準備あたりから着陸までを録音していました。ウィンチマンの杣さんから無線で「がんばってください」が送信されてきたところや、索付けの中江川に落ち着かせてもらっているところや、上空では落ち着くためにひたすら何か喋っているところや、着陸してわちゃわちゃするところが収まっています。地声が子供っぽく覇気も威厳もないので、かっこいい音声は録れていませんでした。悲しいです。
さて、初ソロのフライトは楽しいとよく聞きます。私はそんなことはありませんでした。
上昇中期で突然、自分はひとりなのだ、誰も助けてくれないのだと認識しました。いつもと違うことを考えて失敗するのは散々やってきたことなので、自分は今「いつもと違う」と思っているから気をつけなければ、と思ったものの、離脱無線を入れるころには頭がまっしろ。冷静ではないと自覚すると、冷静でないのに1人で飛んでいるのが怖くなって、いっそう冷静さを失いました。高度計の数字も読めなくなって、いつ帰投すればいいか分からなかったのですが、針が2と3の間のこの辺にいるときはいつもエントリーに向かっていた気がするという雑な判断で場周に入りました。チェックポイントで高度を読み上げたとき、このプロシージャーはいつもと同じで、ここからいつも通りに飛べばいいということに今更気づきました。同乗のときと同じ水準までは回復しなかったものの、いつも通りの着陸ができました。こんな悲惨な精神状態でも118発の同乗フライトの経験が守ってくれたのでしょう。
ようするに初ソロは怖かったです。
帰ってきたときには恐怖の5分間を制した安堵と、半年に及ぶ重圧から解放された歓喜を抱えていました。
緊張が途切れたところに同期や先輩や後輩が駆け寄ってきて祝福してくれて、嬉しくて泣きました。ずっと前に私を追い越していった人たちが、後ろにしがみついていた末っ子の初ソロを自分ごとのように喜んでくれるのがとても印象的でした。
その翌日、藤岡がソロに出ました。感想は「超楽しかった」らしく、眩しい限りです。1日の差でギリギリ先輩面ができるかと思えば、感想がもう負けています。
初ソロから3ヶ月遅れで投稿ということで、せっかくなのでセカンド以降の話もします。
セカンドソロは初ソロからちょうど1ヶ月後、4月29日昭和の日のOGC単独でした。ペースは順調と見えますが、実はこれは4月の6合宿目にあたります。セカンドソロのために外参を重ね、なにもない静穏な時間に2発飛んではその日が終わるような1ヶ月でした。チェックは通ったものの風が悪く飛べないことが何度かありましたが、チェックに通るたび恐怖の初ソロが尾を引いて、ソロ怖いどうしようという気持ちで発航順を待つのでした。
セカンドソロに出た日も、チェックに通ってから飛ぶ覚悟を固めるまでに一悶着あり、駄々を捏ねて教官に説得されてヤケクソで飛ぶという非常に情けない有様でした。
結局、セカンドも怖かったです。エントリー手前にプラスがあり、一旋転したらちょうどよく帰投できるというところでなかなか高度が落ちず、早く帰りたいのにまだ落ちないのかと旋転を継続し、落ちろ落ちろと念じていたらそのうちいい感じに落ちてきたので帰りました。
ソロが怖くて早く帰りたいようなやつが、ずっと複座で浮いていればいいものをどうしてdiscusに乗りたいのかと言われれば、何も反論できません。いちばんはかっこいいからで、次に同期と一緒に大会に出たいからです。
サードソロは5月大野で出ました。ここまできてやっと1人で飛べると気づきました。
逃げ出したいほどの恐怖は克服し、おっかなびっくりソロだめと向き合い始めました。ソロが楽しいという感情をこれ以降すこしは理解できているつもりです。
5月大野で3-4、連結の5月CABでピスト権限を行使して5-8、月末の外参で9。
6月は色々あってソロがなく、今のソロ発数は9です。まだ10月受験に滑り込めると信じて、discusを目指して頑張っています。
はやく初ソロに出なければと焦るのも消耗するのですが、初ソロに出てもライセンスや大会経歴のために焦り続けなければならないと思っていました。初ソロのためにたかだが半年飛び続けるのがこれだけ疲れるのに、あと2年間もこれをやらなければならないというのが、初ソロ以前の私にとっての絶望でした。実際に4月はわりと絶望でした。
一緒に頑張ろうとずっと言ってくれていた同期は手の届かない存在で、追いつかねばならない目標だったのですが、その背中に5月で手がかかり、ようやく一緒に頑張る仲間がいて心強いと思うことができるようになりました。今はこの同期たちと残りの2年間を挫けずに頑張れると思っています。
応援・祝福してくれたすべての人に感謝申し上げます。
これからもよろしくお願いします。
2026年06月08日
【6月木曽川】 2日目
お疲れ様です、2回の増田です。
ブログを上げるのが遅くなってしまい申し訳ありません
♂️
6/7(日)は6月京大単独木曽川合宿の2日目でした。
朝から雨の予報があり訓練が可能か怪しい状態でしたが、なんとか朝の数時間ほど訓練を行うことができました!
短い時間の中頑張りました![]()
今合宿で、4回大野がリト認定を取得!
「遅ればせながらリト認定いただきました。部のためにえっさほいさ働かせていただきます。」ー大野
めでたいですね!
さて私、増田は今合宿1日目に初ソロに出させていただきました。
まずは教官方、ピストサブピ、クルーのみんなに感謝です。ありがとうございます
♂️
朝から雨が降ったり雲底が低かったりと大変な日でしたが、無事チャンスを掴んでスムーズにソロに出れたことは少々の自慢ポイントです😙よかった〜
(ダミーブレイクは全然勘付いておらず、本当にビビりました。曳航後期はこうするのを意識します、とか教官に話してたのに……。
ちょうど200m通過の計器読みをした直後で、ひえー困ったなぁと思いながら手順通り操作して、ひとまず右旋回。三角場周っぽい軌跡を描いて帰ってきました。
もう少しノーズを下げてより素早く速度回復させるべきだったなと反省しつつ、ちゃんと帰って来れたことに安堵![]()
ソロに出たいか?と聞かれ、こりゃメンタル試験だな!と確信した僕は元気にはい!と返事しました。)
初めての1人の空はというと、実はあまり実感がなかったんです。
なんせ初めてですから、平常心で飛ぼうと思いすぎるあまり、後ろに教官がいると思い込んでいました。(もちろん後席の確認はしましたよ!)
日射が入り始めて静穏から動き出したような空で、これプラスですかね?違いますねぇ、うーん速度チェック、バンク深い〜とか後ろに誰もいないのに語りかけていました。
エアワークは納得のいく出来ではなく、無駄舵やすべりを感じました![]()
ただ、ダウンウィンドの進み具合と高度から、ヘディングチェンジを早めにして調整する判断ができたのは良かったと思います。
着陸は我ながら上手に出来まして、ふはんより少しショート気味に接地しましたがブレーキを調整してピスト横に止めました![]()
機体取りが拍手しているのを見てこれ初ソロや!と再確認。
みんなたくさん祝ってくれて、心の底から嬉しかったです🤩
これから一層練習して自家用取得を目指します!
これからもどうぞ、京都大学体育会グライダー部をよろしくお願いします。